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2014年3月16日 (日)

遠くへ行きたい という曲がある。 心惹かれるタイトル。

以前も書いたことがあるが萩原朔太郎の ふらんすへ行きたしと思へども で始まる
詩「旅上」 せつない気持ちにあふれている。

これだけ情報に満ちている現代 世界中を映像でみることが出来る。 それでも多分
見ると聞くではきっと大違いだろう。 だから実際の目で見てみたいという気持ちも
あるが実際は「違いすぎる」世界がこわいのだ。

外国へ行ったら食べ物は絶対現地のものを食べよ、と主張してきた。 が、である
世界をあちこち訪れる本をあれこれ読んでいたら少し考えてしまった。 好むと
好まざるに拘わらずそれしか食べるものが無い、という状態になったらきっと毎日
辛い。

沢木耕太郎の「深夜特急」 あまりに著名な旅の本。 上中下巻の中途半端なことに
中のみ手に入れたので旅の中間を読むことになったが、最終目的地は決まって
いる旅のようだしルートもおおまかには決まっているようで途中のさまざまな出会い
を著者と共に味わうことになる。 「歩くアジア」はとにかく陸路でイスタンブールまで
抜け切れるかの旅。 途中を楽しむというより先へ先へ、の行軍だ。 その中での
出会いをさまざま味わうことになる。 「インパラの朝」(中村安希)は少しタイプが
違うがやはり大体のルートは決めてあって最終地も決めてあって途中の体験が
語られる(だったと思う。 少しおぼろげな記憶) 見た、聞いただけでは無いその地
の分析がすばらしく、深く考えさせられる本だった。 いずれも私には過酷過ぎて
到底自分には出来ない旅と怯んでしまう。 「行かずに死ねるか」(石田ゆうすけ)
の7年半もの自転車世界一周の旅も気楽にその辺を走るならともかくパンク一つ
直せないのを克服しないと入口にさえ立てない。

古くは芭蕉の昔、いやもっと前から漂泊の旅をする人たちはいた。 今 時代が
変わってクリックすれば世界中を旅する人たちのブログが満載だ。 悪く言えば
星の数ほどいる。 でも私はといえば遠くへ行きたいとの思いを胸にちょっとの
寄り道を楽しみ、未知の世界を覗くのは本でというのがまあ私にはちょうどいい、
かな?

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